映画「四月は君の嘘」を観ました。
Prime Videoをスクロールしていて、バイオリンを構えるジャケットが気になって観たのですが、内容は私のようなおじさんではなく10代の若者たち向けの青春・恋愛映画。
しかし映画の中にクラシック音楽を学ぶ中でしばしば子どもたちが直面する葛藤が描かれていて、思わず最後まで観てしまいました。
この映画の一つのカギになっている音楽を学ぶ上で避けられない「コンクール挑戦」、そして「楽譜に正確に」この二つのキーワードについて映画を参考に解説していきます。
この記事を読むと、コンクールに挑戦すること、楽譜に正確に演奏することの本質的な意味を知るヒントが得られます。
あらすじ
幼い日に天才少年としてたくさんのコンクールの優勝経験を持つ有馬公正(山崎賢人) 、しかし演奏中に自分の音が聴こえなくなる経験をして以来、
“楽譜に正確”にのトラウマ
有馬がピアノを弾けなくなった原因として、
母親が譜面に正確な演奏を求めた一因は、
一方、宮園は公正とはま逆で、
音楽コンクール
この映画で描かれる音楽コンクールとそこでの評価は、子どもたちが音楽を学
そしてこの映画にあるとおり、
どんなに音楽性が豊かでも譜面を正確に弾くことが出来なければ、
宮園は譜面を独自に解釈し自由に音楽を奏でるゆえ聴衆の心に訴えかける力を持っていながら、審査員の評価は高いものでは
クラシック音楽の型
何事においても型は重要です。歌舞伎や落語でよく言われる「形無し」
クラシック音楽にも型があります。
クラシック音楽を極めたような指揮者の小澤征爾さんはご自身の音
小澤征爾:東洋人である私が西洋音楽をどこま
あれほどの音楽家がなおこのように言い続けるほどに、クラシック音楽の型を身に着けることは険しい道のりで
それゆえに西洋の音楽として楽譜に忠実に演奏できることがコンクールで第一の評価基準として問われることは正しいことであり、
型にこだわるばかりに…
一方で型にこだわるばかりに、音楽を奏でる楽しみや喜びを見失い、苦痛になって
この辺りは師事する先生の腕によるところがかなり大きいように思
指導者の腕の見せどころ
現在、
そこで指導者・教師に問われる能力として、コンクールの評価を踏まえつつコンクールの評価に縛られず、それを超えた価値観を提供できるかということがあります。
私の子どもが正にそうだったのですが、
そういう中で、先生はコンクールで評価の対象にならない子どもの持つ豊かな音楽
そして段々に型の部分が整っていった時に、
型が先か音楽性が先か
型が先に整い型の中から豊かな音楽が生まれてくるお子さんがいますし、
日本の教育法の場合、前者に偏り過ぎる帰来があるのかもしれませんが向き・不向きの面があります。
まとめ
映画で描かれる“公正”と“かをり”、どちらの音楽が正しいということではありません。型も音楽性もどちらも大事で、学び続ける中で両者が調和していくことが理想です。
そしてその調和に至るのには色々な順番があり、それは子どもさん・指導者の個性によって変わってきます。一つの道筋で上手くいかないからと言ってそれでダメと決めつけるげきではありません。ただその順番の違いによって、コンクールの評価のスピードは違ってきます。
けれども、幼い時にコンクールで高く評価されていたお子さんがある時からさっぱり評価を得られなくなり、ある時まで評価を受けられなかったお子さんが一気に評価を高めていくということがしばしばあります。
ですから、コンクールは本人の現在位置や状態を客観的に把握する良い機会ではあるのですが、特に小さい頃の結果に一喜一憂するべきではありません。一喜一憂せずに、自信を持って指導してくださる先生・応援してくれる親御さんのもとで音楽を学べる子どもは幸せです。
映画「四月は君の嘘」を見ながら、子どもたちにとって音楽を学ぶことが幸せな機会であってほしいと改めて思いました。